「子育て罰」を初めて聞いて=子育て楽しんで!

最近、テレビも見ないし社会から寸断されているので本当に遺憾なと思い始めました。ある報道番組を見ていて、「子育て罰」ということばを初めて耳にしました。
 「子育て罰」は、子育てをすることがまるで罰であるかのような、子育てをする人に厳しい今の政治や社会を批判して使われます。少子化の原因友大きく関係しているのでしょうが、子どもの医療費と高等教育を受ける全ての教育費を国が保証することができれば、このような言葉は生まれないかもしれません。一部の100万人ほどの国民だけが、お金を貯めるだけため、その他大勢は、一昔前よりも良い所得になれ満足をしている構造に問題があります。この富裕層達は、お金が目減りしないのです。 日本社会は、何をやっても儲ければ良い。こういうイギリスや米国と同じ社会になってしまって、それを是とする韓国も日本よりも少子化に大きな問題を抱えています。
 視点を変えてみますと、一昔前、昭和30年頃。テレビも洗濯機や冷蔵庫もまだない頃、決して経済的には豊かとは癒えない時代の子どもの出生は200万人。 それも、子育てを悪のように捉える社会観は全くなかった。 経済社会や社会の実態は全く変わっていますが、少子化を招く要因として経済問題だけではないということも考える必要があるのではないかと思います。 「子育てそのものを楽しめない」現実があることも否定はできないのではないでしょうか。 もっと、子育ての楽しさを感じてほしいと思います。
 お金がなければ幸せになれない社会では、子育てを楽しめないのが現実なのでしょう。一日のうち、30分でも一緒に絵本を読んだり、話をしてすごす。 私は子どもが眠っていても、10分くらい本を読み続けていました。そのときだけが私が子どもと接することができる瞬間ですから。家庭によって事情は異なります。これをすれば良いという子育てはありません。ただ、人間の子どもは、生まれてすぐ立ち上がることはできません。そして、脳も12~18歳くらいまで育ち続けます。 人として生まれていけば、そうした成長の仕方をしていかないといけないと思うのです。 それに関わることが子育てなんだと思います。 私ごとですが、一つエピソードを添えて終わりにします。
 疲れたときちょっと横になっていると寝込んでしまっていました。そこへ、「とうだん!とうたん!起きて、あそぼ」 私は眠い目をこすり起きて、おざなりに遊んでいました。すると、1分も経たないうちに、「もうやめよ!」と。 子どもは、親が自分と一緒に何かをすることを楽しんでいるかどうか感じているんですね。 「ちょっとまって」の一言の前に「なあに?」とすぐに対応していることをしていれば(それも面倒がらずに)、子どもが「今は、お母さんは忙しいから、あとにしよう」と子どもから気遣ってくれます。 まず、親から先に接する。いつでも接する。そうすると、安心して、子どもは自立していきます。 過保護とは違います。 過保護は、いつまで経っても親の立場を理解しません。逆にそれを利用するように育ちます。是非、子育てと言うより子どもと一緒の時間を楽しんでください。それが子育てではないでしょうか。